7-3. 豊似湖・振内・日高
1992-8-22 (土) はれ
| 新冠 | - | 富川町 | - | 二風谷 | - | 振内 |
| 800 | 930 1200 | 1300 | 1510 |
朝から小雨の中で家族連れが元気よくテントをたたんでいる。となりのテントはこれから帰る一方だというマウンテンバイク。なんとなく盛り上がらないキャンプ場の朝です。さて、今日はどこまで行くかが問題です。幌尻岳(ほろしりだけ)に行くにしても、まとまった食料が必要だし、富川より上流の町での買物や足のやけどの具合が心配です。特に足のやけどは、えりもユースでとびはねて踊ったせいで、せっかくできたうすい皮がはがれてしまっています。幌尻岳にいけるかどうかあやしくなってきました。
富川町で本気で悩みますがとにかく行ってみることにして、4 日分の食料をかついで幌尻岳への林道の入口にあたる振内に向かいます。
さすがに 4 日分は重い。二風谷(にぶだに)で幌尻岳への林道の様子を聞きます。すると、幌尻岳への林道は崩れていて、バイクでも通れず、復旧は年内とのこと。幌尻岳はあきらめて二風谷でゆっくりしようとキャンプ場にいってみますが、「大雨のあと、キャンプは禁止しています。」だとか。広い公園ですが、とにかくダメ。以前に二風谷はいいところだと聞いていたのですが幌尻岳もダメになったし、半分すねて振内に行っていまいます。
いくつか廃線跡 (旧富内線) をみながら振内(ふれない)に着きます。まずは買物ができることにがっくりします。4 日分の食料をかついだ苦労は何だったんだ〜。富川で聞けばよかった〜。
旧振内駅のホームにて
旧振内駅は鉄道記念館として建て替えられ、駅の構内だけが保存されています。ホームにはいまは動くことのない客車が置いてあり、ライダーハウス (素泊りの宿) になっています。ホームから少し離れたところには蒸気機関車も置いてあります。
自転車から荷物をおろし、今は列車が発着しなくなったホームに腰をおろします。駅舎は赤煉瓦の鉄道記念館に建て替えられていますが、何年か前に来たときには営業していた天塩 (てしお)(*2) あたりの小さな駅を思い浮かべると、旧振内駅のおもかげが想像できるような気がします。雑草一つない手入れが行き届いたホームには鮮やかな花が花壇いっぱいに咲いていますが、どこか哀愁を帯びています。
幌尻岳に登れなくなったので鉄道記念館にこっそり売られていた「幌尻岳の高山植物」というハンドブックを買います。振内中学校の校長先生が書いたそうです。今まで道内で見た花などを調べてみると、たいていが載っていたりして「あ、コレコレ」などと感心します。
あとからきた軽自動車 + バイク 2 台の 4 人グループに便乗させてもらって平取(びらとり)温泉に行きます。振内にも銭湯があるのですが、1 日おきの営業で今日は休みでした。しかし、この振内の銭湯は開拓時代の雰囲気を漂わせる年代物の木造建築で、入れなかったのは残念です。また、銭湯に通じる「町道振内劇場線」という道路名にもその昔の町の姿を偲ばせるものがあります。
4 人組ととんかつを食べながらあちこちの話をしていると、「1 週間じゃ短いな〜」ということをしきりにいっています。とんかつの帰り道は私にとっては初めての夜の北海道ドライブでした。60 Km/h しか出していないのに街灯が一つもない道はかなりの恐怖があります。しかし、まったく明かりがないほんとうに暗い道でもバイクで走っている人がいるものです。えらい。
1992-8-23 (日) くもり
| 振内 | - | 竜門パーク | - | 日高沙流川キャンプ場 |
| 1010 | 1050 1120 | 1230 |
今朝は旧振内駅のライダーハウスの中にあったノートを読んだり軽自動車組を見送ったり 4 日分の食料をパッキングし直してしているうちにどんどん時間がたってしまい、出発が 10 時になってしまいます。列車のライダーハウスはなかなかいごこちがいいものです。ついつい、静かな旅の雰囲気を味わってしまいます。10 時から一気に日勝峠を越えてしまうのはもったいないので、とりあえずのんびりと日高までいってみることにします。しかし、このへんは道内にはめずらしく深い谷になっています。道路脇はすぐに切り立った崖になっていて、入り組んだ淵や小さなカーブが続いており、なんとなく内地の険しい山道を思い出します。
沙流川鉄橋から見る水は少ない
日高町から西へいく R274 (*3) は大雨による崩壊の危険があるため通行止めです。地元の人に聞くと、「失業対策で金を落す道路だから何度か崩れたほうがいい」のだとか。それにしても、こうあちこち崩れそうでは幌尻岳への林道なんて手が回らないのもしかたがないです。ラジオで道内の交通情報を聞いていると通行止めの道路が 30 〜 40 本あると言っています。今年は特に被害が多いのか、もともときびしいところに道路を通しているので通行止めになりやすいのか ... 。
2 日前にいた富川町で海に流れ出る沙流川は 2,3 Km 沖までドロを吐いて海を茶色に染めていましたが、山奥になるこのあたりはほんとにきれいです。沙流川キャンプ場も明るく開けた静かなところです。近くの温泉は 500 円で、スキー場のリフト下にあり、浴室が広くて明るいきれいなお風呂です。坂を登って日高の町に戻れば 250 円の銭湯はもあります。
夕方になってキャンプ場にやってきたライダー 2 人と夕飯を食べて酒を飲んでいると、キャンプ場の暗闇の中から「地図を見せてください」という人がやってきました。聞くと、帯広側にある上士幌 (*4) の育成牧場 (*5) でバイトをしていたというママチャリダーです。いわゆるミニサイクル (ママチャリ) に乗る人です。なんと 7 時半を過ぎた暗い中、日勝峠を越えてきたのです。これから大阪までママチャリで帰るとか。ライダーの一人が九州で同じく牛関係のバイトをしたことがあって話がもりあがります。
そのうち、もう一人のオフロードライダー (serow) がバイクでコケた話を始めます。
- Y 時路の分岐ででどちらにいくか迷っているうちにまんなかに乗り上げた。
- 釧路湿原でダートの直角カーブを曲りそこねてバイクごとジャンプして泥沼に落ちた。
- 林道でコケていたアメリカンを助けたあと、自分もコケてその人に助けられた。
などなど。それにしてもおマヌなライダーです。しかし私も、
- 峠の下りで小さなコブに乗り上げてダイブした後、顔面制動をかけて鼻の下をズルむけにし、ふもとの村で水をもらおうとしたら子供が恐がって逃げてしまった。
など。しかし、誰でも事故は何度かやっているはずなんですが、何かきっかけがないとなかなか聞けないものですね。その夜、テントを持たないママチャリさんは serow さんのテントに泊まっていきました。今夜テントの入口からひさしぶりになんとなく星が見えます。
そのコンクリートのホームには人が 2 人すわれる、道内でいうバス停の 待合室程度の小さな待合室があった。このホームで親子丼をつくって 食べていると、20 時半ごろにくる 1 両 編成の最終列車の窓から女子高生が、うすぐらいホームにいる私に 「がんばってね〜」と手を振っていた。
寝ている間は蚊が多かったが、海の香りがするもっともシンプルな 無人駅 (1983 年 8 月)。
サロベツ原野の国道がまだ 30km のダート区間だったころ、 稚内から走った日に泊まったのが天塩で、私にとっては想い出深い町です。
天塩は日本海側留萌の北にあり、留萌と幌延を結ぶ旧羽幌線の駅。かつて ニシン漁で栄えたという。 北海道新聞提供の 北海道ふるさとの駅にある 天塩栄駅のスケッチは私の記憶に非常によくにている。1987 年廃線。